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概要

vol105 2015.8.27

仙台でジャズ、といえば誰もがその名を口にするのが、安田智彦さん。19歳のときに仙台の「ブルーノートオーケストラ」のメンバーとしてプロデビューし、東京や仙台でトップミュージシャンとともに演奏。現在仙台で、「安田智彦ビッグバンド」を率いている。そんな安田さんに、仙台のジャズ事情についてうかがった。「古い話ですけれど、戦後、川内の米軍のキャンプに、米兵向けのクラブができた。何万人っていう米兵ですからね。クラブの数も相当でしたよ。そこに東京のミュージシャンたちが『仙台に行けば音楽ができる』と、職を求めてやってきた。それだけじゃなくて、仙台で演奏していた米兵の中には、もともとアメリカでトップミュージシャンとしてやっていた人たちもいました。ルイ・アームストロング、フランク永井さんもいたんですよ。当時の仙台は、日本で一番ジャズが盛んだった街だったといってもいい。それから戦後を復興していく中で、街中にキャバレーっていうのができた。ドーム型のスペースにホステスさんも200人くらいいてね。歌のショーはもちろん生バンド。こういう歴史が仙台のジャズのバックグラウンドになっているんです」。そんなジャズの街仙台に生まれ育った安田さん。お兄さんの影響でサックスを始め、ジャズミュージシャンとなり、今年25周年を迎える「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」を立ち上げた。「10周年を迎えたときに、私は『ジャズフェス』を引退。もっと自分のやりたいことを…と、『JAZZ PROMENADE inSENDAI』を2001年に立上げました。あとは、女性だけのビッグバンドも作ったりね。今、若い世代がどんどん育ってきているから、これからの仙台のジャズシーンはますます面白くなりますよ」。これからの仙台のジャズシーンはますます面白くなりますよ仙台の秋の風物詩である「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」。ほかに類を見ないこの音楽イベントが生まれ、育ったのには、仙台ならではの理由があった。そんな、もうひとつのJAZZ物語をひも解いてみよう―総勢17名のビッグバンドを率いて仙台のジャズシーンの盛り上げに情熱を注いでいる。安田ミュージックオフィス代表、仙台ジャズスクール学長安田智彦ビッグバンド安田智彦さんBIG BANDビッグバンド1