中央通の歴史

東西に伸びる市内中心部のアーケード街で、(ハピナ名掛丁・クリスロード・マーブルロードおおまち)の3つの商店街があります。藩政時代、名掛丁は仙台城大手門に通じる重要な街路として大町や新伝馬町の後方に位置し、町人町を守る城下防衛上重要な役割を担っており、「御名懸衆」と呼ばれる組士が住んでいました。クリスロード商店街は「新伝馬町」と呼ばれ、仙台藩開府当初は「日形町」と表示されていましたが、城下町が大きくなるにつれ、国分町や北目町の伝馬町(物資等の運搬を担う町)だけでは対応しきれなくなり、新しく伝馬役を与えられるようになり、次第に「新伝馬町」と呼ばれるようになりました。おおまち商店街は「大町三四五丁目」と呼ばれ、譜代商人の町として伊達家お供の由緒ある町でした。明治20年の鉄道開通で駅から西は現在のような繁華街となりました。中央通りをまっすぐ行くと仙台城大手門へ通じ、城下町のメインストリートとして、経済、情報、防衛を担い、戦時中は第2師団司令部へと通じる入口とした重要拠点となっていました。

一番町の歴史を見る


[|HOME]

中央通の歴史