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仙台の鰻の元祖は、伊達家お抱えの御用職人だった

lead-img-102広瀬通を挟み南北に広がる商店街。 街の名前は「一番町」。通りの名前は「東一番丁通り」。江戸時代は侍の街であったこの界隈も、時の流れとともに老若男女が集うにぎやかなショッピングエリアへと変化を遂げたのである。 そういえば「番ぶら」なんていう言葉もありました…。 ぶらんどーむ一番町商店街と一番町四丁目商店街、これからの発展が楽しみである。


鰻の元祖 大観楼

仙台の鰻の元祖といえば、誰もが口をそろえる「大観楼」。創業は、江戸時代文政5年(1822)という超老舗だ。

このつややかな蒲焼を見よ!ふっくら焼き加減と創業からのタレによる香ばしいこの味が、多くの人を魅了するのだ

このつややかな蒲焼を見よ!ふっくら焼き加減と創業からのタレによる香ばしいこの味が、多くの人を魅了するのだ

「絶景を望む」ということからその名がついたという「大観楼」

「絶景を望む」ということからその名がついたという「大観楼」

創業年を示す木製看板には魔よけの破魔矢が

創業年を示す木製看板には魔よけの破魔矢が

初代・遠藤忠造は、伊達家より城下の鰻の元締めを仰せつかった人物で、時の屋号は遠藤屋としていたという。明治2年(1869)に片平丁に移転して青葉城を望む絶景であったことから「大観楼」と屋号を改めた。そして、戦後、換地によって現在の場所で変わらぬ味を提供している。毎朝5時過ぎには厨房に立つという親方の戸村克夫さん。「だいたい毎日40キログラムくらいさばくね。忙しい時には60キログラムになるよ」と教えてくれた。さらに「鰻をさばけるようになるまでは最低10年はかかるね。俺?もう58年になるよ」と快活に笑った。

毎朝早くから厨房に立つという戸村さん

毎朝早くから厨房に立つという戸村さん

戸村さんのさばいた鰻をもうひとりの板前さんが手早く串刺しに。鮮やかな連係プレーで次々と串刺しができていく

戸村さんのさばいた鰻をもうひとりの板前さんが手早く串刺しに。鮮やかな連係プレーで次々と串刺しができていく

愛知県一色町から仕入れた鰻は、店の裏にある鰻小屋に入れられる。「井戸水を使ってるんだよ。水道水じゃあ、鰻が死んじゃうからね」。

鰻小屋の井戸水で保管される鰻。「鮮度が命だからね」と、戸村さん

鰻小屋の井戸水で保管される鰻。「鮮度が命だからね」と、戸村さん

こうして1日ほど生簀に入れられた鰻は、その日使う分だけさばく。さらに白焼きにした後で蒸して、タレを付けて蒲焼にするのだ。このタレは、それこそ創業の時からの継ぎ足し。戦争中は、タレを地面に埋めて守ったのだという。何代にもわたって守られ、受け継がれてきたその味を求め、今日も大観楼には多くの客が足を運ぶ。

うな重は、2,100円、2,800円、3,900円、5,800円の4種類がある

うな重は、2,100円、2,800円、3,900円、5,800円の4種類がある

INFORMATION

店名
大観楼
住所
青葉区一番町三丁目9-5
営業時間
11:00〜14:00、17:00〜21:00
休業日
第1日曜
TEL
022-221-7575

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