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わが子の人生の節目に贈る印鑑それはいつしか、“思い出の品”に【Web深堀】
この春、卒業や入学を控えて、新しく印鑑を作る…という人も多いことだろう。「一般的には、認め印、銀行印、実印の3種類を持てばいいと思います。認め印は宅急便などが来たときなどに押すもの、銀行印はその名の通り、銀行口座を管理す… -
御年87歳の今もメガネ要らず!小さなテイラーの細腕繁盛記【Web深堀】
戦後のバラックの名残を今に伝えるような、小さな飲食店が立ち並ぶ東一市場。ここで60年以上にわたって丸八洋裁店を営んでいるのが、高橋智佐子さん。「私が仙台に来たのは、昭和23年。結婚がきっかけだったんです。主人もテイラーで… -
吸いつくように刃先が入る、感動的な切れ味を叶える技【Web深堀】
包丁やハサミ、ペティナイフなど、生活に欠かせない手仕事道具を扱う「加藤義永刃物店」。包丁だけでも牛刀、刺身包丁、家庭用包丁など数千本がそろう、プロ御用達の専門店だ。店を訪ねると、シャリシャリと包丁を研ぐ小気味の良い音が聞… -
かつては鶏小屋が裏庭にあったことも
仙台牛と牛たんの店、一番町四丁目のお肉屋さん「濱屋」。創業は明治19年(1886)で、当時は広瀬通りにあった玉澤横町でその看板を掲げた。社長の濱宏一郎さんは「当時は、鶏肉専門店でね。鶏肉を5羽売れば家族が生活できた時代だったと… -
街の人に便利に使ってもらう— それがこの場所で商いをするということ
開店時間の午前11時。その時を待ちかねたように店に続々とお客さまが入ってくる。一番町四丁目の「おそばさん竹」のいつもの風景だ。創業は、明治40年(1907)の上海。天ぷらを中心とした日本料理の店として暖簾を構えた。戦後、上海から… -
お客さまのリクエストで今のような形態に
今年で90歳になる浅野久男さんは「130年の歴史の中で、2代目に「久」の字がついてから、代々「久」の字を受け継いで「浅久」を守って来たんです。戦後大町からこちらに移ったんだけど、今はすっかり様子が変わりましたよね」と話す。今でこ… -
昔は「困ったらコミナトへ」っていわれていたなんでも屋だった
カバン、バッグの専門店「コミナト」。創業は、明治20年(1887)で、当時は何でも扱う雑貨店だったという。 5代目店主の小湊幸夫さんは「昔は、『困ったらコミナトへ行け』って言われていたくらい、なんでもそろったみたいですね。それに… -
この店で結婚したカップルも!自然に会話が生まれる老舗酒店
広瀬通を挟み南北に広がる商店街。 街の名前は「一番町」。通りの名前は「東一番丁通り」。江戸時代は侍の街であったこの界隈も、時の流れとともに老若男女が集うにぎやかなショッピングエリアへと変化を遂げたのである。 そういえ…