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店は、商品だけでなく信用も買うところ

lead-img-101老舗といわれる店の暖簾をくぐるとなぜかホッとする。
仙台商人としての自負とお客様への何気ない心遣いがどこからか伝わってくる。そんな気がする。
マーブルロードおおまち商店街とサンモール一番町商店街には、そんな老舗の気概を感じさせる名店が数多く残っている。
仙台の商店街をけん引する老舗の中の老舗を訪ね歩いてはいかがかな?


老舗時計店 三原本店

「私共は企業ではなく家業。だから店と住居は一緒じゃないといけない。それが私の哲学なんです」と、三原社長

「私共は企業ではなく家業。だから店と住居は一緒じゃないといけない。それが私の哲学なんです」と、三原社長

創業当時の店舗画と店舗の前で記念撮影をしている写真。瓦屋根の建物に、三角屋根の付いた大きな洋風の“ハイカラな時計塔”が目を引く

三原本店の創業は、明治20年(1887)。初代が米沢から仙台へと移り住み、肴町の角で時計店を開業したのが始まりだという。
その9年後には、商店街の移り変わりを予見して、現在の場所へと移転した。それからは“ハイカラな時計塔のある店”として親しまれた。だが、そのシンボルも戦火で焼失した。

創業当時の店舗の前で記念撮影をしている写真と店舗画。瓦屋根の建物に、三角屋根の付いた大きな洋風の“ハイカラな時計塔”が目を引く

創業当時の店舗画と店舗の前で記念撮影をしている写真。
瓦屋根の建物に、三角屋根の付いた大きな洋風の“ハイカラな時計塔”が目を引く

昭和2年に新築したシンボルの時計がそびえる2代目店舗。昭和20年の空襲で消失

昭和2年に新築したシンボルの時計がそびえる2代目店舗。昭和20年の空襲で消失

3代目である現社長の三原喜八郎さんは「今も忘れない、小学校6年生のときに仙台空襲がありましてね。家も店もすべて焼けてしまった。そして、終戦直後は何といったって売る物がないでしょう。だから、会津若松の親戚から漆器のお椀なんかを仕入れて売ったんですよ。それがまぁ、よく売れました。そして、その当時の顧客はアメリカ兵と、川内あたりで進駐軍の施設の建設に従事していた人たちでしたね」。明治40年に販売した懐中時計と保証書。時計のデザインやカバーに施された意匠に当時のモダンさが垣間見える

明治40年に販売した懐中時計と保証書。時計のデザインやカバーに施された意匠に当時のモダンさが垣間見える

明治40年に販売した懐中時計と保証書。時計のデザインやカバーに施された意匠に当時のモダンさが垣間見える

戦中戦後、高度経済成長、そしてバブル経済…と、いくつもの時代の波を乗り越えてきた三原社長。「お客様の買い物の仕方が変わったな、と感じます。私の時代は、必ず贔屓の店というのがあって、商品だけでなくその店の信用も買っていたものです。でも今はインターネットで買い物をなさる方が増えてきました。これも時代の推移というものでしょうね」。

INFORMATION

店名
三原本店
住所
青葉区一番町三丁目2-23
営業時間
10:00〜19:15
休業日
不定休
TEL
022-224-0010

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