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カテゴリー:老舗の横顔
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本屋の火を絶やさないために、やれることを
学都仙台の“まちの本屋さん”として、古くから愛されている「金港堂」。仙台での創業は明治43年(1910)。初代の藤原佐吉が横浜から東京に移った教科書出版社・金港堂からのれん分けをしてもらい、店を構えたのがはじまりだ。 -
仙台の鰻の元祖は、伊達家お抱えの御用職人だった
仙台の鰻の元祖といえば、誰もが口をそろえる「大観楼」。創業は、江戸時代文政5年(1822)という超老舗だ。初代・遠藤忠造は、伊達家より城下の鰻の元締めを仰せつかった人物で、時の屋号は遠藤屋としていたという。 -
作る人、売る人、買う人が幸せになれば
こけしや仙台堆朱、玉虫塗など宮城の伝統工芸品を取り扱う「彩りそえるしまぬき」の創業は、明治25年(1892)。初代の島貫建蔵が宮城県から煙草仕入鑑札を受け、「島貫煙草屋」を開業したのが始まりだ。5代目で現社長の島貫昭彦さんは「当時の広告を見ますと『煙草・砂糖・掛け物』とありますから、お菓子のようなものも売っていたよう… -
やりがいを感じる地域への貢献
創業文政2年(1819)の老舗百貨店「藤崎」。当時、一番の繁華街であった芭蕉の辻のすぐそばだけあって、商人や町人、そしてお侍まで多くの人でにぎわったことだろう。常にまちとともに歩んできた藤崎は、昔も今も、地域貢献を大きな企業命題としている。 -
この先100年も一番町で堂々と続けていきたい
3代目の菅原和男さんは、「戦争の前は、近くに憲兵隊の建物があってね、よく兵隊さんが食べに来ていたようですよ。でも、戦争の後は、本当に何にもなくなっちゃったよなぁ。ここから仙台駅が見渡せたんですよ。 -
かつては鶏小屋が裏庭にあったことも
仙台牛と牛たんの店、一番町四丁目のお肉屋さん「濱屋」。創業は明治19年(1886)で、当時は広瀬通りにあった玉澤横町でその看板を掲げた。社長の濱宏一郎さんは「当時は、鶏肉専門店でね。鶏肉を5羽売れば家族が生活できた時代だったと… -
街の人に便利に使ってもらう— それがこの場所で商いをするということ
開店時間の午前11時。その時を待ちかねたように店に続々とお客さまが入ってくる。一番町四丁目の「おそばさん竹」のいつもの風景だ。創業は、明治40年(1907)の上海。天ぷらを中心とした日本料理の店として暖簾を構えた。戦後、上海から… -
お客さまのリクエストで今のような形態に
今年で90歳になる浅野久男さんは「130年の歴史の中で、2代目に「久」の字がついてから、代々「久」の字を受け継いで「浅久」を守って来たんです。戦後大町からこちらに移ったんだけど、今はすっかり様子が変わりましたよね」と話す。今でこ… -
昔は「困ったらコミナトへ」っていわれていたなんでも屋だった
カバン、バッグの専門店「コミナト」。創業は、明治20年(1887)で、当時は何でも扱う雑貨店だったという。 5代目店主の小湊幸夫さんは「昔は、『困ったらコミナトへ行け』って言われていたくらい、なんでもそろったみたいですね。それに…