春の七草のひとつである「せり」。その和名の由来は、葉が競うようにして出てくる「競る」から「せり」に転化したという説があります。
そんな、生命力あふれるせりの、出荷量日本一を誇るのが、わが宮城県。仙台のお隣の名取は名産地として知られ、「仙台せり」の名で全国にせりを出荷をしています。地元では伝統野菜のひとつとして、お正月の雑煮やそばやうどんの薬味としておなじみの食材。さらに、ここ数年前は仙台せりが主役の「せり鍋」が、大人気!
そこで今回は、伝統野菜の「仙台せり」の生産者、販売する人、そして「仙台せり」が主役の「せり鍋」をご紹介。今夜は大切な人を誘って、あったか~い「せり鍋」でほっこりしませんか?
仙台せりを作る人
JA名取岩沼 下余田芹出荷組合 組合長 大内 繁徳さん
仙台せりの産地として知られる、名取市。その歴史は古く、とある文献によれば元和年間(1620年)には“名取で野生のせりの栽培が始まっていた”とある。そんな歴史ある伝統野菜、仙台せりについて話を伺おうと、名取市下余田の大内繁徳さんを訪ねた。大内さんは、ここで採れたせりをJAに出荷する「下余田芹出荷組合」の組合長を務めている。
「仙台せりを育てるには、湧水が必要。この一帯は、昔から湧水が出たんで、せりの産地になったんです」と説明しながら、大内さんはせり田へと連れて行ってくれた。水に浸かったせりは、太陽の光に照らされて、緑色に輝く宝石のよう。
「じゃあ、ちょっと採ってみましょうか」。そう言って、大内さんは田んぼの中へ。水に浸かったせりを中腰になって根っこから引き抜き、ザブザブと水の中でゆすぐ。この作業を収穫時期は連日行うのだ。
「今は湧水だけじゃなくて、地下水をポンプでくみ上げています。地下水は温かいので、田の温度を保てるんですよ。ポンプで水をくみ上げるようになったのは、50年位前からのこと。親父の時代には、氷を割って田に入ったなんてこともあったみたいですよ」。凍結防止のために、夜はせり田の上にシートをかぶせたりするという。
こうして田から収穫されたせりは、洗浄され、手作業での選別を経て、無事、出荷されるのを待つばかりの“1束”となる。「今は、全体の生産量は減っています。高齢化でせりの生産を止めてしまう農家も多いから。そんな中でも、比較的若い生産者ががんばっているのが救いですね」。
毎年4月頃から株を植え始め、手塩にかけて育てる仙台せり。8月ころから収穫が始まり、年末を最盛期として、4月の終わりまで、手間暇をかけて収穫する。箱に詰められたせりは集荷場へ運ばれ、そこでサンプル検査を受け、すべての基準を満たしたものだけが、市場へと出回るのだ。
「仙台せりは、季節によっても味が少しずつ違うんです。ぜひみなさんにその美味しさを味わってほしいですね」。まだ見ぬ人の、美味しい笑顔のために―。大内さんは今日もせり田に出る。