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アーカイブ:2015年
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この店で結婚したカップルも!自然に会話が生まれる老舗酒店
広瀬通を挟み南北に広がる商店街。 街の名前は「一番町」。通りの名前は「東一番丁通り」。江戸時代は侍の街であったこの界隈も、時の流れとともに老若男女が集うにぎやかなショッピングエリアへと変化を遂げたのである。 そういえ… -
時の人物に名をちなんだ古き良き“まちの酒屋”
一番町四丁目で、昔ながらの“まちの酒屋さん”の風情を残す「東郷酒店」。創業は明治30年(1897)で、その屋号は世界に名をとどろかせた元帥海軍大将の東郷平八郎にちなんだのだという。店主の小林智香さんは「当時の時の人でしたから… -
昔は「困ったらコミナトへ」っていわれていたなんでも屋だった
カバン、バッグの専門店「コミナト」。創業は、明治20年(1887)で、当時は何でも扱う雑貨店だったという。 5代目店主の小湊幸夫さんは「昔は、『困ったらコミナトへ行け』って言われていたくらい、なんでもそろったみたいですね。それに… -
お客さまのリクエストで今のような形態に
今年で90歳になる浅野久男さんは「130年の歴史の中で、2代目に「久」の字がついてから、代々「久」の字を受け継いで「浅久」を守って来たんです。戦後大町からこちらに移ったんだけど、今はすっかり様子が変わりましたよね」と話す。今でこ… -
街の人に便利に使ってもらう— それがこの場所で商いをするということ
開店時間の午前11時。その時を待ちかねたように店に続々とお客さまが入ってくる。一番町四丁目の「おそばさん竹」のいつもの風景だ。創業は、明治40年(1907)の上海。天ぷらを中心とした日本料理の店として暖簾を構えた。戦後、上海から… -
かつては鶏小屋が裏庭にあったことも
仙台牛と牛たんの店、一番町四丁目のお肉屋さん「濱屋」。創業は明治19年(1886)で、当時は広瀬通りにあった玉澤横町でその看板を掲げた。社長の濱宏一郎さんは「当時は、鶏肉専門店でね。鶏肉を5羽売れば家族が生活できた時代だったと… -
この先100年も一番町で堂々と続けていきたい
3代目の菅原和男さんは、「戦争の前は、近くに憲兵隊の建物があってね、よく兵隊さんが食べに来ていたようですよ。でも、戦争の後は、本当に何にもなくなっちゃったよなぁ。ここから仙台駅が見渡せたんですよ。 -
やりがいを感じる地域への貢献
創業文政2年(1819)の老舗百貨店「藤崎」。当時、一番の繁華街であった芭蕉の辻のすぐそばだけあって、商人や町人、そしてお侍まで多くの人でにぎわったことだろう。常にまちとともに歩んできた藤崎は、昔も今も、地域貢献を大きな企業命題としている。 -
とにかくウソをつかない正直な商売を
今や県内外に38店舗を構える「メガネの相沢」。創業は、明治28年(1895)、現在の一番町四丁目に初代の相澤利右衛門が“日本での眼鏡の需要が大きくなるはず”との予見から眼鏡店を興したことがはじまりだ。現社長で4代目の相澤博彦さん… -
店は、商品だけでなく信用も買うところ
三原本店の創業は、明治20年(1887)。初代が米沢から仙台へと移り住み、肴町の角で時計店を開業したのが始まりだという。その9年後には、商店街の移り変わりを予見して、現在の場所へと移転した。それからは“ハイカラな時計塔のある店…